Motel Chronicles


■2004年12月15日

ジェットストリーム放送10000回記念海外ロケのお話しを、写真入りに
バージョンアップしました。
長文であまり文字を確かめずに書いていますので、間違いご指摘ください。
今日はホロコーストをなおしました。ありがとうございます。


「沖縄」

ジェットストリーム1万回放送記念で出掛けた海外ロケは2週間で
4ヶ国をまわるものでした。正確にはその前に沖縄ロケも含まれ
ていますので、合計18日間5ヶ国を飛行機に15回も乗って旅行してきました。
友人に海外ロケの事を話すと羨ましいなぁという答えが返ってくるのですが、
現実はそれほど甘くはありません。

でも沖縄はゆっくりした旅でした。
BOOMの宮沢くんと会って話をし、彼の朗読ライブにおじゃまして
一曲彼の朗読とセッションをしたり島唄を弾いたり。
いつも思うのですが沖縄には東京とはまったく違う時間が流れています。
それは空港に降り立った瞬間に感じられるもので、本当にここは同じ
日本なのだろうかと不思議に思います。
宮沢くんとのライブは知念村の海が見渡せる丘、くるくまの森でした。

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風が本当に気持ちよかった。
残った時間は久しぶりに沖縄を少しドライブしました。
ひめゆりの塔は初めて訪れたのですが、今まで訪れた世界各地の
ホロコーストなどと同じようにとても悲惨な現実がありました。
未だに身元がわからない遺骨や遺品が何処かの地面に人知れず眠っているはず、
というのは本当に悲しすぎます。
また、私自身、そういうことを知らなさすぎることにもちょっと反省しました。
館内ではたまたまひめゆり部隊にいた方が語部としていらっしゃって、
偶然にもお話しをすることが出来ました。
彼女から聞く話は涙無しでは聞くこが出来ません。
いろんな写真や遺品を見るよりも、やはり人の声から伝わる話は
すごく重みがあります。
私のチェロには誰かを幸せにしたり、何かを清めるような祈りのような力が
あればいいな、といつもそう願って弾いています。
そしていつかここでチェロを弾いてみたいなぁ、と思ったのでした。

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「インド」

海外ロケの初日はインド。
いきなりのインドは心の準備も出来ていないうちからどうなるのだろう、と
ちょっと珍しく気弱になってしまいましたが、やはり強烈な国でした。
でも未だに好きか嫌いかはわかりません。

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インドの旅は移動に次ぐ移動で、本当のところあまりよくわかっていないのです。
日本からJALにてデリーに到着した後、飛行機を乗り継いでムンバイまで行きました。
デリーで国際線から国内線へ空港の移動があったのですが、今回は2週間という
長旅に加え、気温30度のインドから2度くらいのヨーロッパと夏服冬服
(コート、マフラー、手袋ももちろん)を入れた一番大きいスーツケースに
もうひとつバッグ、それとフライトケースに入ったロケ用のチェロ。
機内持ち込みのカバン。
とてもひとりでは運べない荷物になってしまいました。
もう泣きそうです。
国内線ターミナルまではバス移動でしたが、車中でインド人のシタール奏者との
セッション打ち合わせ。
初めてのインドなのに街もろくに見ることが出来ません。
でもやっぱり牛が道を歩いていたり寝ていたり、変な世界です。
クラクションもうるさいし。
バスの中はハエのような大きな蚊のような(?)飛行物体が多数飛んでいて、
刺されたら死にそうです。
バスのエンジン音も滅茶苦茶うるさくて、シタール奏者の英語もあまり
聞き取れません。
そんなこんなでムンバイのホテルに入ったのは夜11時過ぎでした。
次の日は午前5時くらいにホテルを出発して遺跡があるエローラまで
また飛行機移動です。
飛行場からはバスでエローラのカイラーサナータ寺院遺跡へ。
カイラーサナータ寺院は最初はノミ一本で掘り始めた大きな寺院にかたちを成した
遺跡で、何百年もかけて岩を掘って出来たというこの遺跡は、ただただ圧倒される
のみです。
何かひとつの目的にこれほど一心不乱に作り上げられる人間って、
すごいのかなんなのかちょっと複雑な気持ちでした。
エジプトのピラミッドもそうですけれど、神様に対しての創造物は
とんでもない力が出てくるみたいで、ただただすごいとしかいいようがありません。

でもこの段階で私はちょっとグロッキー。
だって暑いんですもの...
滅茶苦茶暑さに弱い私は3つ目の遺跡の入り口で休憩にさせてもらいました。
いくら過ごしやすい季節のインドとはいえ、炎天下30度以上の所を歩いたり
遺跡の中を歩き回るのは大変です。
入り口で休憩しているとちょっと不思議な事がありました。
中学生くらいの学生たちが修学旅行のようなかたちで遺跡見物に来ていたのですが、
私を見つけるなり写真を撮っていいか?と聞く。
別にいいよ、というとなんと一気に50人くらいの男子学生に囲まれてしまいました。
シャッターを切るのは引率の先生。
何が何だかわからずに、ただ日本人が珍しかったのか嵐のように去って
いきましたけれど、不思議な出来事でした。
近くにいたインド人コーディネーターは笑い転げるばかり。
でもこの状況が2回あったのですよ。

遺跡を見てインドの大地からのインスピレーションを受け、なんとかそれを音楽と
結びつけようとしながら帰路につきます。
飛行機を二つ乗り継いでデリーに戻ったのは、やっぱり深夜になっていました。
噂には聞いていたのですがインドの主食はカレーです。
それも朝昼晩と3回カレーです。
でもお店によっていろいろ味は違うし、中身もベジタブルやお肉、その他
多種多様なカレーばかりで飽きることはありません。
私だって3食ご飯とお味噌汁、それにおかず一品でもまったく大丈夫ですから...
でもさすがに最初に食べたのが機内食のカレー、次も機内食、レストラン、機内食と
私は何処にいるのだろう、とちょっと悲しくなってきます。
食いしん坊の私は、旅の記憶は食べ物だったりしますから...

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翌日シタール奏者のジャガティーブさんとのセッションのために、ニムラナフォートという
1400年代に建てられたという宮殿に出掛けました。
デリーからバス移動で約3時間くらい。
宮殿というとマハラジャが有名ですけれど、ここはもっと質素で今はホテルとして
使われています。
この宮殿までの道のり途中に今までみたこともないような街をいくつも通り過ぎました。
渋滞で30分以上も立ち往生していた街は舗装されていなくて、
お店も4畳半くらいの小さな露店がいくつも肩を寄せ合った状態で建っています。
店の前にタライを出して身体を洗っている人もいるし、その横では牛が寝ています。
近代的な街を形成しながら山奥や砂漠の部族のような、そんな生活形態に
ちかいものがそこにはあってそのミスマッチがとても大きいのです。

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私がロケバスから見続けたその街には外国人はいませんでした。
観光客はもちろん誰ひとり歩いていません。
というか、歩けないかもしれないなぁ、と初めて弱気になるような、そんな風景でした。
インドが好きという人はたくさんいます。
インドにはまってしまって帰れなくなる人もいるくらい。
でもそういう人は何処に行くのでしょう...
たった3日間で見たインドにはそういう場所はありませんでしたから。
まさか立ち往生していた街に魅せられているとは到底思えなかったので。


ニムラナフォートもそんな街にありました。
街とは言えないほどもっと小さな村です。
でももっと素朴で店先にはわけのわからない農機具の先っぽだけを並べて売っていたり、
鍛冶屋は本当にトンテンカンテン金槌を振り下ろしています。

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大きな穴ぼこがたくさんある道をロケバスはゆっくり進んでいき、終いには車一台がやっと
通れる程の坂道を上がり始めます。
車を降りてもこんなところに宮殿がと本気で心配するほどなのですが、
建物の門を入った瞬間、別世界が私を待っていました。
今までのほこりっぽい乾いた土の世界から一転して豊かな緑が生い茂っています。
鳥やリスも鳴いている。
空気もすがすがしくて澄んだ感じなのです。
門一枚隔てただけなのにこれほど世界が変わるのかと、ショックを隠し切れませんでした。
そして自分がとても落ち着いていることも。
緑豊かな日本で生まれ育った私にとって、こういう風景が身体に馴染むのかもしれません。

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シタール奏者のジャガティーブさんはとてもピースフルな人でいつもにこやかです。

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インド音楽にはラーガという決まりがあって、これは音階の一種の決まりなのですが
何億通りあるといわれています。
優秀なミュージシャンはそのうちの百通り以上のラーガを身につけ、それに従った
アドリブを展開していきます。
彼も100以上は自分の中にあるといっており、演奏はしてもらえませんでしたが
聴く人が泣いてしまうラーガがあるとも言っていました。
セッションは彼の曲で女性が化粧をしているところを曲にしたもの、だそうです。
もう一曲はその女性が紙のために踊るところ...そう化粧をしたのは神のためだったわけです。
そういうスタンスの長い物語で曲を書いているので、曲もおのずと長くなるそうで
番組用に5分でとお願いしたら「短いですね〜」と呆れていました。
インド音楽はとにかくラーガであり、愛であると。

セッションは宮殿中庭の芝生に絨毯をひいてその上で行いました。

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鳥もさえずり清々しい空気の中、もう一人タブラ奏者も加わっての演奏でしたが、
私自身初めてといっていいほど演奏しながらその「音楽」に酔うことが出来ました。
それもこれも彼らの懐の深さ、わけのわからない私の音楽を受け入れる
気持ちの優しさからくるものだったのでしょう。
音楽って気持ちいいものなんだなぁ、と当たり前のことをはるばるインドまで来て
実感しました。
来た甲斐があるというものです。

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宮殿からまた3時間をかけてデリーに戻ると、すっかり夜です。
まだ一度も街を歩いていなかったので、スタッフと一緒にデリー駅に
音を収録しに行きました。
初めての外出。
うぁわぁ、人がたくさんいる...
街は妙に薄暗いのですが私たち外国人は全然人混みにとけ込まなくて、妙に浮いた感じです。
なんだろう、この感じ。
この人混みには絶対紛れ込めない何か目に見えないベールのような壁があって、
私を拒絶するのです。
同じアジア人なのに混じり合えない不思議な感覚です。
これは今までいろんな国を旅しましたけれど、初めての感覚なのです。
そして観光をする遺跡以外の所でひとりも観光客には会いませんでした。
本当にみんなは何処にいるのでしょう...

インド最後の夜なので一度くらい美味しいカレーを食べようと、今日もカレーです。
お昼を食べたニムラナフォートホテルのレストランも素晴らしく美味しくて
食べ過ぎてしまったのですが、お腹いっぱいでも食べられるのがカレー。
私を含めスタッフ全員ものすごい勢いでたいらげてしまいました。
ホテルに戻ってからすぐにパッキング。
午前1時前にはホテルを出発して飛行場へ。
午前4時発のドバイ経由の飛行機に搭乗してトルコイスタンブールに向かいます。
ドバイでのトランジットは8時間。
機内は早朝のためほとんどの人が寝ています。
3時間ほどして随分静かだなぁ、と思ったらまだ離陸していませんでした...
本当にトホホです。
霧のために離陸が出来ないようでした。
信じられます?このスケジュール。
インド滞在中にちゃんとホテルのベッドで寝た時間は、数えるほどでした。


「トルコ」

トルコ、イスタンブールに着いたのはやはり夜でした。
食べるものといえば一日中機内食で、ホテルでご飯を食べる元気もありません。
すぐにベッドに入りますけれど明日も午前7時出発です。

カッパドキアはカイセリという街から向かいます。
15年ほど前でしょうか、ロンドンでCDジャケット撮影をした時にカメラマンから
モノクロのカッパドキアの写真をもらいました。
自由に使っていいよ、とはいえCDのイメージと全然違っていてどうしたものだろうかと
悩んだのを覚えています。
でも私の中でカッパドキアとは、その一枚の写真がずーっと心に刻まれていたのでした。

でもまさか自分がそこに行くとは思ってもみませんでした。
カイセリの街から車で一時間ほど走るとカッパドキアに入ります。
トルコにこんな風景があるなんて想像もしていませんでした。
何度も訪れたアメリカの荒野に少し風景が似ています。
何もなくてひとりで丘にたたずむと、自分の存在さえ危ういような厳しさと
寂しさを感じさせる、そんな風景が目の前に広がります。
私はこういう風景がとても好きでアメリカには何度も行きました。
自分ではどうしようもない気持ちに追い込まれるほどの荒れ果て何もない荒野。
私にとってそういう圧倒されるだけの自然の美しさが、心に響いてくるのです。

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今回カッパドキアを訪れてひとつわかったことがありました。
大自然を目の前にしてその広大さに驚くのですが、その大きさを把握する時に
目からの情報ではなく耳で感じているのだということ。
自分でも発見でした。
音が響いてくる距離感、風の吹き抜ける音、その質感、空の広さ、谷の深さ等々
そういうものを耳で聞いて空間の大きさを測っているのだなぁ、と。
私の友人には五感の中で香りをかぐことが何より先に来る、という人もいましたが
今回音の収録でロケに出て私は耳なんだなぁ、ということを確認した次第です。

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カッパドキアの夜に踊りを見にいきました。
宗教的なものなのですが、10年以上前に日本でこれを見ていつか本場で見てみたいと
ずーっと思っていたものです。

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でも観光用の舞台のせいか、私の印象では日本で見たもののほうが数倍良かったです。


トルコではバンドネオン奏者の小松良太くんが旅に参加しました。
彼はカッパドキアを見て、セッションのために用意した曲がイメージが違うと
ホテルで書き直したくらいです。

カッパドキアからイスタンブールへ戻った時点で、私は体調を崩してしまいました。
旅行前にも言われていたのですけれど、インドでお腹を壊すのは生水ではなくて
カレーの香辛料だと。
それも若い人順にお腹を壊していくそうで、私の場合はちょうどトルコあたりでしょうか、
なーんて言われていた通りになってしまいました。
まぁスケジュールからしてもちょっと大変だったので、体調を崩しても
しょうがないかなぁと自分で自分を慰めていましたけれど...
丸一日寝込んで次の日には小松くんとのセッション、無事に終えています。
あぁチェロを弾くと調子良くなるなぁと、セロ弾きのゴーシュの話を思い出しながら
弾いていました。
バンドネオンとのセッションは私の体調がすぐれなかったせいで、
ホテルの中庭となりました。
本当は海峡の近くの公園とかに行くはずだったのですが、でも人がいない分、
集中して演奏が出来ました。

次の目的地、ベネチアに旅立つ日はラマダンの開ける日でした。
一ヶ月近く断食をしていたトルコ人にとってお祭りのような日らしく、
飛行機で隣同士になったトルコ人にも是非この日を楽しんで、と言われたくらいです。
でも私たちは午前4時過ぎにホテルを出発して、空港へ向かいます。


「イタリア」

ベネチアは3度目となりました。
最初に訪れたのは8年前の新年。
新年早々ワルシャワでのレコーディングが入っていて、カプリ島での仕事との
狭間の短いクリスマス休暇でした。
とても寒くて雪が舞っていました。
私が泊まったホテルは運河沿いで部屋も運河側を日本から予約していました。
でも街はとても美しく私はとても端正に作られたおもちゃ箱の中に、迷い込んだ錯覚を
覚えたものです。
そしてこの街を去る時にもう2度とここには来ないだろうなぁ、と思ったことを
思い出しました。
それはあまりにも美しくて悲しかったからです。
美しいものは一度でいいかな、とも。
でも今年4月に世界の車窓からの仕事で来て、今回ベネチア3度目の訪問です。
自分でもびっくりです。

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最初の訪問の時の印象が良かったせいか、4月のベネチアは嫌いでした。
美しい街ですからしょうがないのですが、本当に観光客が多い。
何処を歩いても人人人...
人で疲れ切ってしまう感じです。
そういう私も観光客の一人なのですけれど...
もし寒いのが苦手でなければ、冬のベネチアをお奨めします。
空気はピンと張りつめていて鐘の音は良く聞こえるし、自分の靴音も
狭い道によく響きます。
満潮のタイミングで水が上がってきてしまいますが、サンマルコ広場が
水で覆われているのもそれはそれで美しいものです。

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でも、寒いですよ。
このロケ期間中でたぶん気温は2度くらいだったでしょうか。
それに海風がまた寒くて...

初めてガラス工場を訪れました。
結構こんなところ...とバカにしていたのですけれど、やはりモノを作るところは
面白いです!!!
工場もなんというか、とても居心地がいい素敵なところでした。

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チェロの演奏はホテルの隣にある古い建物のホールでした。
天井には美しい絵もある小さな舞踏会をやるような所です。
有名なへニーチェ劇場よりも古い建物だと言っていました。
とても美しく響く所で、チェロを弾いているうちにどんどん自分がその音によって
変わってくるのがわかります。
美しい響きに弾かされている、といったらいいでしょうか...
ここでの演奏はCDに入れたくなるくらい、いいものでした。

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ゴンドラに乗ってその上でチェロも弾きました。
私は非常に船に弱くて、船でのお仕事は全てお断りしています。(笑)
これは身体的な問題からなのですけれど、無理してのったゴンドラ。
やっぱり数日地面が揺れていました...

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このベネチアでは制作側のミスによりコーディネーターがつきませんでした。
つまり私とマネージャー、ディレクター二人だけがポツンとホテルで
どうしよう...という感じです。
到着した次の日には急遽通訳の方が来て頂きましたけれど、急に頼んだので
全日ついてもらうことも出来ません。
何だか結局一番街を知っている私がリアルト橋へみんなを連れて行ったり、
水上バスの乗り方を教えたり一駅離れてから列車でベネチア入りするのを体験させたり、
とコーディネーターしていました。
それはそれで楽しかったのですけれど、ね。

ベネチア入りは久しぶりのアリタリア航空。
でもやっぱりロストバゲージでした...
しかも私の荷物ひとつだけ。
洗濯物しか入っていなかったのと、夜にはちゃんとホテルに届きましたから
いいんですけれど、ね〜。

ここで私がいつも使うバッグを紹介しましょう。
かれこれ8年くらい使っているリモアというものです。
アルミで出来たドイツ製のスーツケースですが、買った時はこんな高いものをと
随分悩みました。
でもとっくの昔に元は取っていますし、今ではこのボロボロのカバンが
私の一番の宝物となっています。
このカバン、100回以上は飛行機乗っていると思いますよ。
修理したのも(板金してもらうのです)数回ですし、鍵が開かないことも度々です。
既に私の持っている形は生産中止となっていて、現在のはキャスターが4つも付いて
何だか使いやすそうだなぁ、とは思いますけれど、たぶん一生このままこれを
使うのだと思います。
写真はそのうちに。


「フランス」

パリのホテルはホリディインでした。
何もパリに来てアメリカの、それも滅茶苦茶ベタなチェーンホテルは
どうかと思ったのですが、どうも古いホテルを買い取って改修したようでした。
普通のパリの部屋が小さいホテルです。
モンパルナスとサンジェルマンのちょうど中間くらいで、公園にもボンマルシェにも
便利なところでした。
私はいつもマレ地区に泊まります。
最近1万円ちょっとで場所も環境も部屋もいいところを見つけて、定宿にしています。
もちろんルームサービスはないし(朝食サービスはあります、その辺のカフェより美味)
レストランもついていません。クリーニングサービスも微妙なところです。
でもお腹がすいたら近くのカフェに行けばいいのだし、美味しいベトナミアンも
あるから困ったことがありません。
洗濯はコインランドリー、クリーニングもその辺のクリーニング屋さんに出せば
いいのですから。(笑)
それ以前は同じ地区の9000円のホテルでした。
屋根裏部屋っぽい一番上の部屋がお気に入りで、毎年毎年8年くらい通ったでしょうか?
フロントのおばさんとも仲が良かったです。
でもその辺はゲイがたくさん集まるところで、ホテルのお客もそういう人に
占領されつつあってちょっと諦めてしまいました。
いえ別にいいのですけれど...
部屋のベッドメイキングをしてくれる黒人のおばさんもすごくいい人だったり、
朝食は400円くらいですごく美味しかったりと、思い出は
たくさんあるのですけれど、ね。

辻人成くんはボージュ広場の一角にある、超高級ホテルに泊まるそうです。
以前彼とそういう話で盛り上がりました。
マレ地区が好きだというところまでは一緒だったのですが、パリでのホテルの
嗜好が違うなぁ、と。
私はそのホテルの噂は以前から知っているのですが、どうしても泊まれないのです。
何も1万円のホテルでひっそりとする必要はないのですが、パリの街だとそういう方が
何だか楽しいなぁと思えるから不思議です。
ニューヨークで1万円のホテルには泊まりたくありませんから。
ワシントンホテル(チェーンホテルではありません)だったかなぁ、
ワシントンスクエアのすぐそばにあったのですが、部屋にトイレ、電話さえ
付いていませんでしたから...

何度もフランスに来ていますけれど、パリから出たことはありませんでした。
今回初めてゴッホが住んでいたという村を訪れました。
車で2時間くらい、という感じでしょうか。
東京は何処まで走ってもずーっと人家がありますけれど、パリはちょっと走れば
すぐに田舎の景色となります。
農業国ですから見渡す限り畑だったりします。
私はゴッホがパリを見限って移り住んだ村が、でも実はパリからそれほど
遠くなかったというのに少し驚かされました。
でも昔としては充分離れていたうちに入るのかもしれません。
彼が自殺するまで住んでいた所は小さな博物館になっていて、彼の部屋も
見ることが出来ます。
本当に質素な、しかも窓は天井にしかなくて、あのゴッホがこんな所にと、
ちょっとぐっと来てしまいます。
行く機会があったら是非スライドショーを見てください。
弟との手紙で構成されていますが、変人だった(?)割にはとてもまともなことを
考えていて、それよりもっと繊細で気がつく人だったからこそ
あんなふうになってしまったのかなぁ、
とか美術の未来についてとても的確に予想をしていたのだなぁと、
色々なことがわかります。
日本語にも訳されています。

パリでの演奏も特にセッティングされていませんでした。
本当は教会で、という話だったのですがこちらの教会は由緒正しきカソリックですから、
全て何ヶ月前からの文書でのやりとりだそうです。
日本のカソリック教会からのレターも欲しいとなれば、もうこちらはお手上げです。
一度、日の出前にエッフェル塔が見える公園で演奏をしましたが、寒すぎてては動かず
しかも工事関係の人で演奏は中断してしまいます。

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ディレクターも旅のエンディングとなる演奏が録れないと青ざめていましたが、
ここはコーディネーターの方が奔走してくれました。
レターがなければ押しかけてしまえ、
とモンマルトルの丘にある大きな教会の裏にある
サンピエール教会というところに直談判にいったところ、運良く
牧師さんからOKを頂きました。
教会の担当女性の方が音楽好きというのも功を奏したそうで、
私は数曲弾くことが出来ました。

前述のゴッホが住んでいた村にある、ゴッホが好んで描いたという小さな教会という
候補もあったのですが、関係者が誰もおらずに困っていました。
ゲリラ的に演奏してしまおうか、という案も出ましたが教会でそういうことをするのは
私は好きではありません。
しかもその教会はとても雰囲気が暗く重くて、とても演奏をする気には
なれないところだったのです。
内心、関係者が見つからずにほっとしていました。

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でもこのモンマルトルのサンピエール教会はとても素晴らしい
ところで、中に入っても空気がとても軽やかです。
ステンドグラスの色が床に映ってそれもとても華やかに見えます。
生け花があったとしたらとても綺麗に見えていることでしょう。
ここで弾けたことに感謝したのは言うまでもありません。
いい場所で弾くと私の音楽、チェロまでが変わっていくのが目に見えるようにわかります。
本当は場所や環境に左右されない強い自分が欲しいのですけれど、やはりそれだけでも
ダメなのだなぁと、今回の旅でそう感じました。

パリは何度目になるのかわからないくらいなのですが、
相変わらずフランス語はわからないし
どっちが左岸?右岸?などといっている状態です。
でもそれでも地図を持たずにだいたいの所はメトロで行けるようになりましたし、
マレ地区界隈だったらお茶ならここ、軽い食事ならここ、というように
目星がつけられるくらいにはなっています。
イヤな言い方ですけれど逆に私が銀座に行ったほうがまったくわからないかもしれません。
わかるのは歌舞伎座、アップルストア、伊藤屋、それから中古カメラ屋数軒でしょうか。
資生堂パーラーがわからずに右往左往したばかりですから、食事には困ってしまいます。
しかもカフェがあまりないですし、まったく!という感じです。


いつも仕事で海外に行くと色々な発見があります。
たとえテレビ等の専門外の
仕事でも、本当に感謝していることです。
次はいつになるかわかりませんが、またたくさん旅をしていろんな事を
吸収してこようと企んでいます。
そろそろ日本国内の旅も大きな発見があるかもしれません。