Motel Chronicles


■2002年12月14日

2、3日前のこと。
友人が転職、いや、正確には会社の中での部署が変ったと、
急な人事異動があったそうで、約束していた麦トロ御飯の夕食が、
ドタキャンになりました。
彼女にとっては寝耳に水、といった事だったらしく、
電話口では少しアップセットしていたけれど、私は麦トロ御飯は逃げないから大丈夫
、と電話を切りました。
そして、私にはその人事異動=昇進(もしくはもっといい仕事、環境)に感じられました。
案の定、次の日には『新しい仕事、いいかも』という短いメールが。
お互い忙しいですからほとんど会うこともなく、メールもゴクタマですが、
何かこの人は大丈夫、という暗黙の了解を持っています。
そういう友人が何人かいて、よく会う人もいれば何年も会っていない人もいますが、
たいてい、大丈夫なのです。
そう、彼らが悪くなるはずがない、きっと幸せになれる、うまくいく、成長する、
まわりがほおって置くわけがない等々、と思える何かを持っているのです。
それはつき合いがあるなしにかかわらず、会った瞬間でもわかるかもしれない、
『何か』。
言葉ではなかなか表せないのですが、仲間とか共同体、自立、信頼、
みたいなものでしょうか...
 
人のことはよく見えるのです。
コンサートやお芝居に行ってもたいていは、これはこうしたらもっとうまくいくのに、
と制作サイドっぽい視点で見てしまいます。
まぁそれが、つんくさんや小室さんのように、『売れる』考えであるかどうかは、
別問題として。
 
でも自分のことになると、まったくわかりません。
自分は今、どういう状態で、何処に位置して、何をすべきか、何を発信するのか、
何を受け取るのか、生きるのか、死ぬのか、体調は、お金は、もう何もかも全部。
考えてみても頭悪いせいかよくわからないので、とりあえずやりたいことをやってみる。
そうやって失敗したり成功したり、いろんな経験から『こうかもしれない』と
組み立てていくのだけれど、いいかげん、こんな年なのだから分別持って行動しなければ、
とも反省しきり。
いや、思うのは、40にして惑わずというけれど、それまでよりももっと迷っている
感じがあるのです。
字が違うけれど。
この辺書き始めると、愚痴を言っている酔っ払い中年男そのままになるので
割愛しますが、音楽もチェロも、続ければ続けるほどわからないことも、
考えなければいけないこともたくさん出てきて、本当にキリがないです。
でも諦めないというか、そこから逃げさえしなければ、知らない間に次のステップに
進んでいることもあるわけで、だからやめられないのですが...
 
少し話は違うのですが、今年は本当に色々なことがあって、身体も心も元から(姿勢とか?)
調整しています。
やはり厄年は侮れません。
もともと肩こり症なのですが、数ヶ月前からひどくなり始めて、何が原因なのだろうと、
ずっと考えていました。
コンピューターの前にいる時間が長すぎるのか、そのために目が疲れているのか、
運動不足、寝不足。
全部当てはまるのですが、原因はチェロの奏法でした。
最近では練習で1時間も弾くとへとへとになり、右肩はガチガチに固まって首も回らないほど。
腰への負担も相当でした。
いつもと変わらないのに、なんでだろう.....と悩みながら、3日前、ほんの気まぐれから
奏法を少し変えてみました。
ビンゴ。
目から鱗(うろこ)。
そういえばチェロを習い始めた頃、こう弾きなさい、といわれていた気もしますし、
教則本にもあったような。
それをいつの日かからすっかり忘れていて、癖が自分のスタイルとなり、
無理を重ねていたのかもしれません。
普通の生活での姿勢とか(だけではありませんが)を矯正していくうちに、
無理なチェロの弾き方が浮き彫りにされてきたのでしょう。
 
少し奏法を変えただけで、音は太くなり音量も増えました。
見た目は一切変わらないのですけれど、弓にかかる力のもとの、微妙な調整なのです。
肩こりもひどくはなりません。
反対に弱い音を出すのが難しくなりましたが、これからの練習課題でしょう。
そう、どんな楽器の奏法でも大きな音を出すのは簡単なのです。
力任せに弾けば、とりあえず大きな音は出ますから。(本当は難しいですけれど)
むしろ弱い音を出す方が100倍神経を使うしそのまた100倍、
力やそのコントロール力が必要とされます。
そしてこの改造は、すぐにはなおりません。
まだその弾き方のために、右手に意識を持っていくと左手がおろそかになっている、
という状態で、はやく『無意識』のレベルまで持っていかなければなりません。
 
そういえば弾き方を変えた途端、指にかかる力も微妙に変わって、
タコができる位置も変わってきます。
昨日、弓を持っている右手をふと見たら、なんと血まみれではないですか。
これは練習のしすぎで、『すごい!!星飛雄馬みたいだ〜!!』と
内心喜んだのですが、タコ(皮膚が硬化するところ)の位置が変わって、
それと乾燥肌が作用して切れただけでした。
体育会系のように練習で血だらけになる、なんてこと、ないですからね...

変化は少しずつ、でも確実にですね。

乾燥肌といえば、今日、朝起きて仕事部屋に来てみたら、部屋の温度が4度、湿度33%。
いくら古い家だからといって、外気温とそんなに変わらないなんて、ちょっとショックです。
エアコンをつけると乾燥するので、今年はオイルヒーターを買ってみました。
友人にメールで自慢したら、「上に座っちゃいまーす。肩がこった時には寄りかかるっす。
時には馬乗りになる時もある・・・・どうだー恥ずかしいだろ〜」という返事が来ました。
取扱説明書には一切そういうことが書いてないはずなのに、いや、
してはいけないと思うけれど、私もまったく同じ使い方をしているので、
なんだかトホホでした。
トホホは自分に対してなのか、友人、オイルヒーター、どれなのか判断つきませんけれど。
わたしは足をのっけて低温やけどギリギリまで、なんて使い方もします。
類は友を呼ぶ.....いや、友は類(オイルヒーター)を呼ぶ?

■2002年12月11日

少し前に勉強が出来なかった高校時代の話を書いたら、私も!!という
いくつかメールをいただきました。
私より勉強の出来ない人はいないと思いますが、でもいくら高校時代に勉強が出来なくとも、
ちゃんと仕事していられて、人生楽しいな、と少しでも感じられるのなら、
それで正解ではないでしょうか。
ノーベル賞受賞した田中さんも、人のいうことは聞くな、といっていますから。
(あの記事を読むたびに、同じ事をしていて、何故私のところにはノーベル賞が来ないのだ、
と思う方も私だけではないはず。)
そういえば、芸大の受験はちょうど共通一次に切り替わった年で、受験前に教授からは、
英語と国語が出来ていれば(平均点)大丈夫、といわれていて、
ほかの科目を一切勉強しなかった記憶があります。
特に苦手な数学は200満点中自己採点で49点だったような...
その年、欠陥といわれるほど数学の問題が簡単で、
平均点が160点くらいだったように思うから、いかに嫌いだったか(そういう問題か?)が、
良くおわかりかと思います。
 
いや、そういうことを書くつもりはなくて、小学校時代にさかのぼるのですが、
『体育』という授業が苦手でした。
特に鉄棒、高跳び、などなど。
ドッチボールや水泳なんかは、なんとかこなしていましたが、鉄棒、そう、
特に逆上がりが出来ませんでした。
憂鬱な毎日でしたね〜。
確か小学校3年生くらいで、体育の授業必須科目に『逆上がり』があったように思うのですが、
どうしても出来ない。
クラスで出来ないのは、女子を入れても数人、という感じでしたから。
毎日放課後、練習していたように思います。
ほかの男子は飛行機跳び、とか、授業では習わない、いろいろ技を入れたカッコイイ跳びもので、
女の子達の人気をさらっていたように思います。
それから馬跳びでたくさん飛べる人が、もてる。
そう、あの頃は文化系よりも体育会系の男子が断然もてました。
体育会系で勉強が出来たら、鬼に金棒でしょう。
まぁ、今でも同じかとは思いますけれど。
 
逆上がりのほかに、片足懸垂上がり、いや、名前が思い出せないけれど、
いろいろ種類があって、ことごとく出来ませんでした。
4年生になる前には、出来たのですけれど。
出来たときは、するっと、あれ?って感じでした。
高跳びも名前をすっかり忘れましたが、3種類くらい跳び方があって、背面跳び、
はさみ跳び(ゴム跳びだったかな)、正面跳び(たしかカタカナの名前がついていたような)。
いや、これは中学時代だったかな。
そして未だに出来ないのは、側面まわり、いや〜違うな、なんていうのだっけな...
地面に手をついて真横にくるっと回るやつ。
側転だ。
さすがに今はもう手がこわいから(骨がもろいから?)、やる勇気もありませんけれど。
唯一得意だったのは、跳び箱くらいなものでしょうか...
絶対2度と、あの頃には戻りたくないと思う要因の、ひとつであります。
大変失礼しました。
 
冬の深夜にひとり仕事部屋にいると、いらぬ事をたくさん考えてしまいます。
昔はオリオン座を見ながら、ホロホロと泣いていた遠い遠い昔もありましたが、
すっかり乾燥肌となった昨今では、しぼっても何も出てきません。
どうぞみなさん、お身体、ご自愛ください。

■2002年12月10日

雑感いろいろ。

ソニーのプロ用ビデオカメラのプロモーションで、1分の映像を作らなければなりません。
たぶん、来年あたりソニーのウエブサイト上で、映像が流れると思います。
放送クオリティを持ったDVカメラですが、それをプロだけではなく普通の人にも
使ってもらおう、という主旨らしいです。
それゆえ、カッコイイ映像を撮るのではなく、普段の生活の中からという感じで、
というコンセプトをもらっています。

さて、普段の生活...といわれても、無精髭のままで仕事をしている姿を
自分で撮ったところで、何一つ面白くないので、一応、「猫」を題材にしてみようかと。
もう立ち直ったのでここに書くことが出来ますが、今年の夏の終わり頃のこと。
そろそろ猫を飼おうかと、ブリーダーさんに子猫の予約を入れました。
シンガプーラ、というあまり日本では飼っている人が少ない種類で、ネット上の写真で
子猫を選んだのですが、あと数日で一度会いに行って(四国のブリーダーさんでした)、
そして3週間で引き取り、というときに彼が急死してしまいました。
買い物運がない、と書きましたがまさかここまで、とだいぶ落ち込みましたが、
やっとまた新しい猫を探そうという気持ちが生まれています。
 
話はビデオに戻りますが、そこで、猫を探すロードムービーを作ろうかと思い立ちました。
まずロケ第一弾は、最近まわりで噂になっていた、やまなか君。
ビクタースタジオが山中湖にもあるのですが、そこに最近住みついた猫がとても愛嬌良く、
太った白猫だそうです。
彼に会いに行きたく、そしてその姿を撮りにわざわざ山中湖まで行って来ました。
仕事用の映像なので、先にここで公表することは出来ませんが、
なかなか外で住んでいるとはいえ、とても綺麗な猫でした。
たぶん、以前に人に飼われていたであろうと思うほどききわけが良く、
スタジオの中まで入って来るのですが、御飯を食べ、身繕いをし、決まったイスの上で
お昼寝をした後は、「はい、バイバイね」というと、腰は重いですが外へ出ていきます。
撫でれば平気で腹を出しますし、まぁ、野良にしてはちょっと緊張感がありませんが、
かわいい猫でした。
 
次はシンガプーラの子猫が生まれた、というのを聞きつけて早速見学に行ってきました。
実はシンガプーラという猫、写真ではよく見ていたのですが、成猫を実際に見るのは初めてでした。
感想その1、本で見たり読んだりしていたものより、想像以上に大きい。
感想その2、やはりオスは甘ったれ、メスはひとりの飼い主に従順。
感想その3、毛は短いけれど、ビロード以上に柔らかで気持ちいい。うちの猫の毛は麻のよう...
感想その4、オスは結構筋肉質。
うちの猫と果たしてちゃんとやっていけるか、というのを考えると、正直とても悩んでいます。
子猫だけ見たのなら即刻決めていましたけれど、やはりシンガプーラというあまり見かけない、
そして知らない猫を飼おうとしているわけですから、どうしても慎重になってしまいます。
 
山中湖の話に戻りますが、帰りは深夜になってしまいました。
東名高速に入ってからすぐの、足柄サービスエリアに立ち寄りました。
最近、高速道路のサービスエリアのお土産コーナーで売っているものとか
、レストランのお蕎麦、ラーメンとかがとても美味しい。
そこで買って帰ったお土産が、朝霧高原の牛乳。
なんと900mlで1000円!!!もするのですが...そう、普通の牛乳5本くらい
買える値段ですけれど、やっぱり美味しかった。
ここだけの話、いや、ちょっと恥ずかしい話ですけれど、海外旅行へ出掛けて帰国すると、
帰りの高速道路サービスエリアで、ラーメン食べます。もしくはかけそば。
これが普段、街中で食べるラーメン屋さんのものより美味しいと感じるのは、
ちょっと変かな、と思いながら、それでも機内食を減らしてでも食べたいなぁ、と思うのです。
2週間、日本食を食べていなかった、という事実を差し引いても、美味しいのです。
そういえば、イタリアロケ中に、高速道路でやはりサービスエリアのレストランで昼食を
取ったりするのですが、とても美味しいのです。
もちろん、大皿にパスタとかラザニア、サラダ、チキンのなんとか等々を作り置きしてあって、
電子レンジで温めるだけですけれど。
あぁ、また食べたいなぁ...
足柄サービスエリアではとっくに夕食を済ませていたので、残念ながら美味しいといわれる
桜エビのかき揚げ蕎麦は食べられませんでした。
山中湖スタジオにあるレストランも、最近とても美味しいのです。
これは一般の人には解放していない、スタジオ専用のレストランなのですが、
たぶん、一ヶ月滞在しても飽きることはないでしょう。
イタリアのカプリ島にあるホテルスタジオ、そしてそこにあるレストランといい勝負です。
あぁ、美味しいものを書き始めると、止まらなくなります。


渋谷のあるデパートで、私は外商担当がついています。
何年も前にそのデパートの駐車場に車をとめていたら、感じのいい男性が近づいてきて、
カードを作りませんか、と言われました。外商引き取りにします、とも。
私はその人の感じがとても好きで、というより声が声優のように素敵で、
外商の意味もわからず入って今に至ります。
彼はとうに定年退職され、私の担当者も3度ほど変わっていますが、まぁたぶん、
外商引き取りをされているお客さんの中で、一番売り上げが少ないひとりでしょう。
私自身も高価なものを買うこともなく、仕事機材は売っているわけはなく、
仕事でよく着る衣装はそのブランドが店には入っていなくて、
結局お願いすることが何もないままでした。
ただひとつ、駐車場が無料になる、という特典があってそれはうれしかったのですが...
そして先日、やはり、というかそのシステムが変わりました。
年間の利用額に応じて新しいカードが送られてきて、それに応じたサービスが
受けられるというもの。
今までは買い物をしても、外商にまわして、と言えばそれで済んでいたのですが、
それもカードを見せなくてはなりません。
そのカードは...そう、私は利用額が少ないので、送られてこないのです...
駐車場ももうタダにしてもらえません。
こう見えても見栄っ張りなので、もう外商でのお買い物は出来ないでしょう。
いちいち自分のステータスを示したカード(昔のね)を見せて、私は貧乏です、
といいながら誰が買い物するのでしょう...まぁ、貧乏だからしょうがないですけれど。
普通にクレジットカードでのお買い物にしました。
残念でたまりません...
いや、こういうお客がいるから、デパート側では切り捨てようとしているのだと思いますが。
 
見栄っ張りでも無意味なものは、興味ありません。
例えばカードがゴールドなのかそうでないのか、とか。
そういうものが何一つその人を表すものではないですし、ね。
 
ちょうどディナーショーの20日の日に、NHKに出演します。
公園通りで会いましょう、という番組で公開生番組です。
NHKハイビジョンが20日11:00から11:44まで。
NHK総合が15:10から15:54までです。
ウイークリーゲストがジャズバイオリニストの寺井尚子さん、
そして当日のデイリーゲストが私です。
共演もありますので、お楽しみに。
それより...是非、フォーシーズンズホテルのほうに来てください。
お待ちしています。
 

リニューアルしてからもうすぐアクセス7万件に達します。
10万過ぎる頃にまた何かプレゼント企画、考えましょうか...

■2002年11月25日

DVDの解説を載せました。
Impression Songsをご覧ください。

■2002年11月24日

先日、高校時代の友人と会った。
私は旧友とのつきあいというものがほとんどなくて、しかも高校時代は
あまりいい記憶がないから、普段もその当時のことを考えたことがない。
なにせ26年前の話。
遅れていったお店には、知らない顔も含めて6人ほどがもう赤い顔していた。
知っている人でも高校一年生の時の同じクラスで、2年ですぐクラス替えがあったから、
やっぱり26年前の友人には変わりない。
東京の片隅の都立高校。
 
みんなその間どんな人生を送ろうと、どんな仕事をしようとも、
結局は高校時代の顔に戻っている。
それを考えると、おしゃべりな人はそのままだし、当時全然目立つことのなかった私は、
結局今もあまり変わっていないわけで、みんなの会話を聞いているだけ。
でも、いろんな名前が飛び交うと少しずつ記憶が溶け始める。
授業をサボって下北沢のマサコというジャズ喫茶(漫画喫茶ともいう)に
入り浸っていたことや、タバコを吸っていたこと、学校旅行に行ったこと、
ふられて落ち込んでいたこと、マラソン大会...
話は尽きない。
それよりも、当時、私は勉強出来なかったことが、高校時代の思い出だろうか。
英語、数学2、古典、いずれも赤点、しかもクラスの最低点を取っていた時もあって、
黒板にクラスの最高点、最低点が発表されるたびに、胃が痛くなった。
未だに英語の試験を白紙で出す夢で、うなされることがある。
 
クラブは陸上部に入って、棒高跳びを2年ほどやったけれど、いきなり運動音痴が
高校から始めたわけで、うまくなるはずがない。
都大会新人戦で3位になったことはあるけれど、出場者3人しかいなかったから。
陸上部はとてもきびしいクラブで、練習は毎日、どのクラブよりも遅くまでやっていた。
しかも学期末試験中でもどんなときでも大会があれば全て出場、
1年生の時は専門(棒高跳び)以外、5000メートル中距離、やり投げ、
100メートル短距離、砲丸投げと出場が重ならないものであれば、なんでも無理矢理出された。
やり投げなんてその場で投げかたを学んで、みんなの投げかたを見ながら、である。
本当にひどかった。
 
そんな状態だから、と言い訳をするわけではないけれど、勉強はまったく出来なかった、
いやしなかった。
したいと思った科目もなかったように思う。
古典、漢文は少し楽しかったけれど、先生が嫌いだったり、「好き」と「点数」が
結びつかないジレンマもあったり。
この時にちゃんと英語を勉強しておけば、今、どれほど助かることか、と後悔するけれど、
果たしてあの頃の授業で喋れるようになったかは、疑問。
  
そう、結局あの頃の私は、何一つ自慢出来るものもなく、いや、今でも何もないけれど、
自分の存在主張出来る自信が何一つない、とっても地味な学生だった。
バンド活動をしてはいたけれど、セカンドキーボード担当という地味さ。
(でも当時のバンドメンバーのほか二人はプロになっている優秀バンド)
専門音楽でも、ある芸大付属高校の先輩の「いじめ」にあっていたころで、
まぁ彼は「しごき」というだろうけれど、毎週日曜日ヤマハでの練習は憂鬱だった。
練習後みんなでお茶をするにしても、私ひとり電車でみんなは一台の車で、と別行動。
同じ音楽業界にいるけれど、逆にいえば、私がプロになって一緒にすると、
何故か彼の仕事態度が誠実でなく、今ではつき合いがない。
やっぱり私のことが嫌いだったのだろうか。
 
変な話に逸れてしまったが、自己主張出来る何かを持っていなかった、ただ、
何となく過ごしていた高校時代を振り返るのが、とても苦手なのである。
陸上部には時間を取られていたけれど、それも自分が好んで、ではなかったから、
とても空回りしていたような、3年間。
級友達はとても好きだけれど。
みんなの卒業後24年間の出来事を聞きながら、人生って面白いなぁ、と。
ただ卒業アルバムがないと、目の前にした人が誰だかわからない、
というのはどうなんだろう...
そう、以前仕事をしたNHKの「43歳の修学旅行」という番組を思い出してしまった。
事件は別として、みんなほとんど同じなのである。
 
久しぶりに大笑いした夜。
写真はみんな(私も)お馬鹿で、放送コードに引っかかるのでなし。


クリスマスディナーショーをどうしようか迷われている方。
ひとりでのご参加もだいぶいらっしゃるようです。
そのような方々にも楽しんでいただけるよう、ホテル側も気を使っていただいているそうで、
どうぞ、ご安心していらしてください。
そして同じテーブルにもしなりましたら、お友達を作ってください。

■2002年11月20日

更新出来ない時の罪滅ぼし。
 
時間のあるときは、こうやって更新も頻繁に出来るといいのだけれど、
それも気が向いたときだけ。
ただ、今日はちょっとくだらない話。
このページではあまりネガティブなことを書かないようにはしているのですが、
最近、残念に思ったことを。
 
うちの近所には大きなスーパーが歩いていける範囲で2店舗、
車を使えば5分というところにあと2店舗あります。
主に買い物をするのは歩いていけるふたつのお店ですが、そ
れでも黒豚を買うのならこの店、パンはあの店、人参はあの八百屋が美味しい、
とお店のハシゴをするのも常であります。
車で行くふたつのスーパーのうちひとつは、品質があまりよくないから行かないとして、
もう一つのお店は無農薬無添加の品物等が置いてあったり、
ある程度品揃えにこだわりがあったので、好きでした。
 
ところが今年の夏に閉店。
あぁ、ここもか...と、ちょっと残念に思っていたら、先日違うお店
(会社の系列は同じらしい)としてオープンしていました。
ちょっと期待もあって早速チェックに行きましたが、「残念」としか言いようがない結果に。
無料駐車場は有料に、しかもチケットは右ハンドル車専用。
私の車は左ハンドルのみの車種なので、この時点でマイナス20点。
嫌味な言い方になってしまうけれど、土地柄、とても左ハンドルが多いところなので、
たぶん、受け入れてもらえないでしょうね...
商品の品揃えはまぁまぁなんだけれど、オープン早々なのに缶詰とかの賞味期限が
あと数日、なんていう商品ばかり。挙げ句の果てには、ばら売りされているお菓子の中には
2日前までのものだったり。
同系列会社の関係か、前のお店の在庫品そのまま、というのが見え見え。
頑張って欲しいけれど、たぶん、ダメかなぁ...
 
私の住んでいる街は住み始めてわかったのですが、大変保守的な街の雰囲気を
持っているところで、まったく変わらないものと新しいものの差が、
とても激しい街でもあります。
15年以上前に、とっても好きだったサングラスを買ったお店がまだあって、
今ではすごく仲良くさせていただいていたり、近所の良く行くお寿司やさんは、
もう40年近いのではないでしょうか。
お蕎麦屋さんも然り。
顔なじみのお店はまだ数軒ほどしかありませんが、みなさん、ものすごいこだわりを
持ってやっている人ばかりです。
そう、こだわりがなければ受け入れてもらえないところでもあるのです。
それさえあれば、値段がちょっと高くても、たぶんずーっとやっていける。
 
そのサングラス屋は、というかその「人」は、になってしまうのだけれど、
いつも新鮮な提案をしてくれます。
こんなの自分には...というのを選んでくるのだけれど、その最初に彼が選んだものを
結局買ってしまうという、それがなんとも快感で、
私は何人の知人にこのお店を紹介したことでしょうか。
都心からまぁまぁ離れているこの街に、みんながわざわざ来るというのも、
その人の持っている「何か」なんだろうけれど...
 
お蕎麦屋さんは、小澤征爾さんも横尾忠則さんも顔を出すお店で、カレンダーにはいつも、
小澤さんのサインがあります。先日も小澤さんのドキュメンタリー番組の取材で、
テレビクルーが来ていたと、女将さんが話していました。
私はいつ、あのカレンダーにサインさせてもらえる日が来るのだろうと、
密かに狙っているのですが。
 
そう、今日は新しく出来たパン屋さんに行きました。
小さな店構えの中には、近所のお年を召した方々であふれかえっていました。
怖いんですよね、こういう人達の評判が一番.....
そういう私だって、あるお店で隣のおばさま方の会話から、新しいお店が出来た、
というのを小耳にはさんだからですし。
 
住んでまだ4年近く。
実家の近くということもあって、土地勘はもともとあったのですが、
やはり街は奥深いです。
これだけ小さいところなのに(お店のある繁華街)、食べ物屋はまだ
全店制覇していませんし、どんどん新しいお店も出来ます。
どんなところでもやはり、住めば都、でしょうか.....
 
先日の所沢でのコンサート、会場の隣は綺麗な公園でした。

aki1.JPG
■2002年11月18日

魔法の絨毯。
 
今晩の東京は、木枯らしが吹いています。
色づいた木の葉は、私が運転する車の前やうしろ、上を舞ってわずかに開けた窓からも、
カサカサという音が聞こえてきます。
そして道路は黄色や茶色の絨毯がひかれたように、美しく彩られています。
本当に美しい季節です。
 
こういうときに散歩して楽しいのは、何処でしょう。
やはり昔近くに住んでいたこともあって、代々木公園が真っ先に思い浮かぶのですが...
朝方5時くらいに行くと、それはそれは美しく、この世のものとは思えないほどの
たたずまいと、静けさを見せてくれます。
それから生まれ育った多摩川のほとり。
落葉樹があまりないので、冬になれば芦が枯れて丸裸の中州は興ざめですが、
寒々した風景はやはり美しいものです。

今日は妹が家に来ていて、岩手でのお墓参りの報告をしていました。
私が知っている私の母方の祖父は祖母の再婚相手で、本当の祖父の顔は知りません。
でも私が知っているおじいちゃんは、とても良く私のことをかわいがってくれて、
多摩川で一緒に魚釣りをしたことも、よく覚えています。
妹ももちろん知るはずもないのですが、仕事で盛岡に行ったときに
お墓参りをしたそうです。
どちらの祖父も私の本当の祖父ではあるのですが、血のつながった祖父の存在を
最近になって知る機会が増えたというのは、お墓参りに行く、いいチャンスかもしれません。
母方の親戚はそういう意味で岩手県の盛岡にいます。
だいぶ寒くなったかもしれませんが、今月は時間があるので尋ねてみようかと考えています。
 
先日の所沢のコンサートに来ていただいた方は、ある意味、ラッキーだったかもしれません。
それは、とてもいい弓を借りての演奏でした。
弘法筆を選ばず、とはいいますが、いい楽器はいい音がします。
そしていい楽器は大変高価です。
家なんて簡単に買えてしまうくらいの値段もたくさんありますし、有名な演奏家は
(私を除いて)皆さんそういうものを使っています。
いい音とはなかなか説明が出来ないのですが、それは何とも言えない、
弾く人も聴く人も魂を奪われる「音」です。
 
私には生まれ持ってこなかった歌の才能。それはイコール「声」でもあるのですが、
楽器はその声の代わりなのです。
声がいくらよくても、歌い手の魂の資質がともわなければ人を感動させることは出来ませんが、
声も生まれ持った才能のひとつであることには、疑う余地はありません。
 
どちらも人の魂をのせる「道具」であるわけで、人の心をいかにつかむか、
気にさせるか、という、いい音、いい声よりも、その人自身のオリジナリティの強さが
重要かもしれません。
U2というグループのボノの声は、私の憧れでもあります。
やはりあぁいう声だったら、あのような音楽をやっているだろうな、みたいな。
何処で聴いても彼の「声」は彼だとわかりますし、その強いオリジナリティはすごい。
誰も真似をすることの出来ない、そして聴きたい、と思わせる何かがあるのだから。
 
楽器は自分で作ることは出来ませんから、人の作った「声」を借ります。
借りるといっても不思議なもので、使っている楽器は自分の声に似てきます。
または同じようなものを、私が選んでいるのかもしれませんけれど...
 
オリジナリティ、アイデンティティを求めるのは人間の本性なのでしょうか?
 
今日、家で取材と撮影があったのですが、雑誌の写真入稿もこれだけデジタルの時代に、
手作業での紙焼き入稿という話で盛り上がりました。
すごくよくわかります。
無駄、便利、速さ、予算、正確さ、美しさ...仕事にはいろんな基準があって、
私の仕事でもいろんな判断があるわけですけれど、やっぱり人と同じ事をしている限りは、
たいしたことないのですよね。
同じ事をするのならその最先端を行くか、時代に逆行するのならとことん、
自分の信じるものを追求する。
私はどちらかというと、どちらもです。
それこそ中途半端にならないように気をつけてはいますけれど。
 
音楽を作る上でこれだけ「デジタル」というものが発達して、いまや
コンシューマーのほうがプロスタジオよりも録音技術的には、数値上のスペックでは
はるかに上をいってしまっています。
そして低価格。
誰がやっても同じような音、つまりはシンセの音ですが、それの組み合わせによって
簡単に作り出されてしまう音楽。
私もそれを使うひとりですが、やはりそこからの逆行ももちろんするわけです。
誰かと同じは嫌、というへんなDNAが働いてしまって...
だから、最近の私はチェロを弾き続けてきて本当によかったと、つくづく感じているのです。
来年すぐに作り始めるCDと、そしてコンサートツアーは、その想いが
強く出ているものになると予感しています。
 
誰とも違うものを持つこと。
もちろん人それぞれ存在自体が、強いオリジナルなわけですけれど。