Motel Chronicles


■2003年12月12日

携帯電話を衝動買いしてしまいました。
ただただデザインがいいなぁ、という理由だけですが、普段使っているドコモと
新たにauが加わって2回線となってしまいました。
普段ほとんど電話機能を使わない私にとって全くの「無駄」なわけで、
ちょっと心痛いのですが、まぁ時間をかけて一台に絞ろうかとは思っています。
 
面白いのが自宅の地下に練習室があるのですが、ドコモは電波が届かない。
でもauはちゃんと来るんですね。
ほとんど携帯電話はメール機能しか使わないのですが、その機能充実ぶりも
ドコモより数段上。
これではほとんどコンピューターも必要ないのかな、と思ってしまうほどです。

白状するとヴォーダフォンも持っています。
これは海外携帯専用で月額数百円で、今まで旅行した所ではアメリカの人里離れた
荒野以外はほとんど何処でもつながるという、大変優れもの。
スコットランドの更にフェリーで渡った小さな島の、やはり人里離れた山道でも
使えたのは驚異的でした。
 
ところがこのサービスがグレードアップして、ついにヴォーダフォンの携帯電話で
海外にてe-mailが受け取れるというわけです。(今まではショートメールのみ)
これで重いノートブックコンピューターを持ち歩かなくて済む、なんともうれしい
ニュースだったはずなのですが...
詳しく調べてみると今まで数百円の月額基本料金が、日本国内用と変わらない値段に
なってしまうこと。
そして専用電話機が滅茶苦茶大きくて、格好悪いこと。
確かに日本の電波、そしてヨーロッパ、アメリカと4種類の電波を
内蔵しているといえば、それは素晴らしいことなのですが...
躊躇してしまって、まだ決めかねています。

なぜ電話にカメラが必要なのでしょう。(あってもいいけれど)
なぜ電話に音楽再生機能が必要なのでしょう。
(そんなもの使ったら電話の電池がすぐなくなる)
なぜ電話に3D音響ステレオスピーカーが搭載されていないといけないのでしょう...
合体メカロボットみたいで、本当に格好悪いです。
 
例のauはデザインだけで買いました。
本当になぜこのようなデザインの優れたものが、もっとたくさん出て来ないのか
と思うほど出来が良くて、使っていたい、触っていたい、と思うものなのです。
それとは対極にいるヴォーダフォンの携帯電話。
必要とはいえ、悩みます。
 
もっと白状するとUKヴォーダフォンのプリペイド式の携帯電話も持っています。
これもデザインはとてもかわいいものです。
随分前に買ったもので月々の基本料金がない分、通話料金は目が飛び出るほど
高いものですが、でも、この携帯電話のおかげでどれほど助かったでしょうか。
 
 
これだけ技術が進歩していても、共通の全世界共通の電話はないのです。
これだけ機種を持っていても韓国ではまた、使えなかったりで何とも
お粗末な状況です。
家の電話回線やファックスも含めると、私は二桁に手が届きそうな数の
番号を持っていることになるのですが、それを全部覚えられるほど
賢くはないのです...
早くひとつにまとめたいです、はい。
 
 
 
日記部分も英語化を目指していて、以前のものを読み返したりしているのですが、
芸大の芸術祭で講義にいった時のことのインプレッション、書いていませんでしたね。
9月の中旬過ぎのことだったと思いますが...

25年ぶりに訪れる大学はあまりにも変わり切ってしまった所と、全く変わって
いないものが混在して、くらくらするほどでした。
なんと説明していいのかわからないのですが、例えば奏楽堂は私が入学した時は
まだ古いものがあって、それを使って授業やオーケストラの練習をしていました。
それはそれでラッキーだったと思うのですが、今は近代的なものが建っていて、
違和感を覚えます。
田んぼの中に未来的な建物を建ててしまった、という感じでしょうか。
芸術の大学なのだから、もう少し建築デザインどうにかならなかったのかなぁ、
と私の感覚ではつまらない建物。
ホールの音はまぁまぁでしたけれど、でも内装とか「まぁ、こんなものでしょう」
というのが見え見え。
ホール自体に何も感動がないのですよね...
なんというかこれから音楽を聴くんだ、というドキドキ感というか。
パリのオペラ座を建てろ、とはいいませんが昔の奏楽堂のほうが遥かに
素晴らしい気がします。
 
校舎はというと正直、古くなったというより「汚くなった」感じでした。
伝統みたいな重くたたずむ古さというのが全くなくて、ただ汚くなってしまった、
という感じ。
なんだか寂しかったですね...
そして本当に古い校舎はその古さ、汚さが25年前と同じなのはおかしかったです。
そこのトイレはほとんど使用不能に近いほど朽ちているのですが、そのことを
私の先輩であるパーカッションの高田みどりさんにスタジオで話していたら、
「私の頃でさえ、既にそうだったのだから!」と言っていました。
何年前かは追求しませんでしたけれど...
 
文句ばかりの学校ですが、それでもチェロのレッスン室に行くエレベーターの
ボタンを押すとき、牢獄と言われた小さな練習室が続く廊下を歩くとき、
ふと後ろに級友の声が聞こえるようなその当時に帰ってしまう瞬間がありました。
そして今思ってみると、当時はとても「楽」な時間でした。
ここにくれば良かったから。
とりあえず学校に来て課題をこなしていけばチェロは上達して、級友とのふざけ合いも
楽しかったし、適当な芸術的な刺激もあって、安い食堂もある...
そう、ここにいればとりあえず安全で楽ちんだったのです。
チェロを教えてくださった教授はもう亡くなってしまいましたし、知っている先生も
ほとんどいらっしゃらないとのことでした。
決して戻りたいとは思いませんでしたけれど、学祭で走り回っている学生や
汚くなった校舎を見ながら、そんなことを思っていました。