■2002年11月24日
先日、高校時代の友人と会った。
私は旧友とのつきあいというものがほとんどなくて、しかも高校時代は
あまりいい記憶がないから、普段もその当時のことを考えたことがない。
なにせ26年前の話。
遅れていったお店には、知らない顔も含めて6人ほどがもう赤い顔していた。
知っている人でも高校一年生の時の同じクラスで、2年ですぐクラス替えがあったから、
やっぱり26年前の友人には変わりない。
東京の片隅の都立高校。
みんなその間どんな人生を送ろうと、どんな仕事をしようとも、
結局は高校時代の顔に戻っている。
それを考えると、おしゃべりな人はそのままだし、当時全然目立つことのなかった私は、
結局今もあまり変わっていないわけで、みんなの会話を聞いているだけ。
でも、いろんな名前が飛び交うと少しずつ記憶が溶け始める。
授業をサボって下北沢のマサコというジャズ喫茶(漫画喫茶ともいう)に
入り浸っていたことや、タバコを吸っていたこと、学校旅行に行ったこと、
ふられて落ち込んでいたこと、マラソン大会...
話は尽きない。
それよりも、当時、私は勉強出来なかったことが、高校時代の思い出だろうか。
英語、数学2、古典、いずれも赤点、しかもクラスの最低点を取っていた時もあって、
黒板にクラスの最高点、最低点が発表されるたびに、胃が痛くなった。
未だに英語の試験を白紙で出す夢で、うなされることがある。
クラブは陸上部に入って、棒高跳びを2年ほどやったけれど、いきなり運動音痴が
高校から始めたわけで、うまくなるはずがない。
都大会新人戦で3位になったことはあるけれど、出場者3人しかいなかったから。
陸上部はとてもきびしいクラブで、練習は毎日、どのクラブよりも遅くまでやっていた。
しかも学期末試験中でもどんなときでも大会があれば全て出場、
1年生の時は専門(棒高跳び)以外、5000メートル中距離、やり投げ、
100メートル短距離、砲丸投げと出場が重ならないものであれば、なんでも無理矢理出された。
やり投げなんてその場で投げかたを学んで、みんなの投げかたを見ながら、である。
本当にひどかった。
そんな状態だから、と言い訳をするわけではないけれど、勉強はまったく出来なかった、
いやしなかった。
したいと思った科目もなかったように思う。
古典、漢文は少し楽しかったけれど、先生が嫌いだったり、「好き」と「点数」が
結びつかないジレンマもあったり。
この時にちゃんと英語を勉強しておけば、今、どれほど助かることか、と後悔するけれど、
果たしてあの頃の授業で喋れるようになったかは、疑問。
そう、結局あの頃の私は、何一つ自慢出来るものもなく、いや、今でも何もないけれど、
自分の存在主張出来る自信が何一つない、とっても地味な学生だった。
バンド活動をしてはいたけれど、セカンドキーボード担当という地味さ。
(でも当時のバンドメンバーのほか二人はプロになっている優秀バンド)
専門音楽でも、ある芸大付属高校の先輩の「いじめ」にあっていたころで、
まぁ彼は「しごき」というだろうけれど、毎週日曜日ヤマハでの練習は憂鬱だった。
練習後みんなでお茶をするにしても、私ひとり電車でみんなは一台の車で、と別行動。
同じ音楽業界にいるけれど、逆にいえば、私がプロになって一緒にすると、
何故か彼の仕事態度が誠実でなく、今ではつき合いがない。
やっぱり私のことが嫌いだったのだろうか。
変な話に逸れてしまったが、自己主張出来る何かを持っていなかった、ただ、
何となく過ごしていた高校時代を振り返るのが、とても苦手なのである。
陸上部には時間を取られていたけれど、それも自分が好んで、ではなかったから、
とても空回りしていたような、3年間。
級友達はとても好きだけれど。
みんなの卒業後24年間の出来事を聞きながら、人生って面白いなぁ、と。
ただ卒業アルバムがないと、目の前にした人が誰だかわからない、
というのはどうなんだろう...
そう、以前仕事をしたNHKの「43歳の修学旅行」という番組を思い出してしまった。
事件は別として、みんなほとんど同じなのである。
久しぶりに大笑いした夜。
写真はみんな(私も)お馬鹿で、放送コードに引っかかるのでなし。
クリスマスディナーショーをどうしようか迷われている方。
ひとりでのご参加もだいぶいらっしゃるようです。
そのような方々にも楽しんでいただけるよう、ホテル側も気を使っていただいているそうで、
どうぞ、ご安心していらしてください。
そして同じテーブルにもしなりましたら、お友達を作ってください。